由 緒

一条天皇の寛弘元年(西暦1004年)花山上皇が諸国を巡覧の際、備中国川上郡阿部村に御滞在あらされた際、山城国紀伊郡三峰に御鎮座の稲荷大神(今の京都伏見稲荷大社)を御勧請になり社号を正一位稲荷大明神として奉斎されたことに創る松山城鎮護代々松山城主、三村、水谷、安藤、石川、板倉各氏が、度々社殿の造営、寄進、祭典には参拝毎年祭祀料を奉納したと云われ、備中松山藩の守護神と伝えられております。

毎年十二月の霜月大祭には出店・植木市などが開かれて、多くの参拝者があります。
現在では高梁のお稲荷さんと親しまれ、商売繁盛・事業繁栄・交通安全・病気平癒・家内安全等の神様として信仰されています。